「このチームは同好会、全部入れ替える」 弱小ホークスを変えた“球界の寝業師”
ドーム球場と商業施設のドームが並ぶ「ツインドーム」計画
2020年のプロ野球はソフトバンクが圧倒的な強さを見せつけ日本シリーズ4連覇を飾った。投打でスター選手を揃え12球団随一の育成力で“常勝軍団”を作り上げたが、ホークスの福岡移転となった1988年は苦しいスタートだった。当時、ダイエーの球団経営に携わり球団本部長、球団代表を務めた瀬戸山隆三氏が福岡移転の真相、王貞治監督誕生など当時を振り返る。第2回は福岡ドーム誕生、根本陸夫氏。
1992年に福岡ドームが誕生した。日本初の開閉式屋根を持ちドーム球場の広さでは日本一を誇るホークスの目玉だった。本来はドーム球場と商業施設のドームを「ツインドーム」としてホテルを併設するテーマパーク化する計画で落ち着いていたが一方は断念することになった。
「中内さんは『この国の野球を変えないといかん。巨人を超える日本一のチーム、世界一のドームを作る』と大きな目標を立てていた。残念ながらツインドームは実現しなかったが、そういった構想を持っていた方だった。ああいう球場を作ったのは強いチーム作りのスタートとなったと思っている。あの時の中内さんの意気込み、心意気があったから今があると思っている」
巨人を倒すための戦力補強にも余念がなかった。1993年のドラフトでは巨人と競合の末に小久保裕紀を獲得するなど城島健司、井口資仁、松中信彦、斉藤和巳ら将来のスター候補たちを次々に獲得した。小久保には関しては巨人が一歩リードしている状況だったが「中内さんは『俺の前に連れてくることはできるだろ』と言って(笑)。どんな状況でも最後まで諦めてなかった、巨人が相手だったということもあるかもしれない」と死力を尽くした。