常勝ホークス築いた王貞治監督の招聘 球団史上最大の任務は月イチの“サシ飯”

ダイエーの球団本部長、球団代表を務めた瀬戸山隆三氏【写真:編集部】
ダイエーの球団本部長、球団代表を務めた瀬戸山隆三氏【写真:編集部】

根本監督は次期監督に王貞治を指名「近々、ワンちゃんに会う。自分の次の監督だ。お前も来い」

 2020年のプロ野球はソフトバンクが圧倒的な強さを見せつけ日本シリーズ4連覇を飾った。投打でスター選手を揃え12球団随一の育成力で“常勝軍団”を作り上げたが、ホークスの福岡移転となった1988年は苦しいスタートだった。当時、ダイエーの球団経営に携わり球団本部長、球団代表を務めた瀬戸山隆三氏が福岡移転の真相、王貞治監督誕生など当時を振り返る。第3回は王貞治監督の誕生。

 1994年、根本陸夫監督が指揮するダイエーは一時は首位争いを続けたが69勝60敗1分でリーグ4位とBクラスに終わる。だが、このシーズン前には王貞治氏の招聘は着実に進んでいた。

「近々、ワンちゃんに会う。自分の次の監督だ。お前も来い」

 1月に東京都内のフランス料理店で根本監督、瀬戸山氏、王氏の3人が顔を合わせた。巨人の黄金期を築いた王、長嶋の「ON」が日本シリーズでプロ野球を盛り上げる王ホークス、長嶋巨人の“ON決戦”構想を実現させるためのものだった。

 根本監督は「中内さんはワンちゃんのために福岡ドームを作った。プロ野球界も人気に陰りが見える。この流れを変えるには20世紀の間にON対決をやるしかない。ワンちゃんのチームを作ってくれ。何でも協力するし金はいくら使ってもいい。来年でも何年か先でもいいから」と思いをぶつけた。

 だが、突然の誘いに王氏は乗り気ではなかった。「私は巨人、セ・リーグの野球しか知りません。東京の人間なので…」。根本監督はその場で答えを求めることはなく「わかった、俺は2月からユニホームを着るからもう会えない。いい答えがもらえるまでコイツ(瀬戸山)が会いに行く。なのでかならず月1回は会ってくれ」と瀬戸山氏を“交渉人”として送り出した。

王氏からは逆に気を遣われる「大変な役割ですね」

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