常勝ホークス築いた王貞治監督の招聘 球団史上最大の任務は月イチの“サシ飯”

王氏からは逆に気を遣われる「大変な役割ですね」

 そこから“世界の王”と月1回の会食が始まった。食事はのどを通らず、緊張感に満ち溢れた空間。瀬戸山氏のプレッシャーを感じ取っていた王氏は「大変な役割ですね」と逆に気遣うほどだった。2、3、4月と会うが話合いは堂々巡り。だが、5月に「野球人なのでユニホームを着たくない訳ではない」と風向きが変わった。

「何を食べたか思い出せないぐらい緊張してました。回数を重ねるうちにお酒の力も借りてある程度話せるようになりましたが相手は“世界の王”ですから。球団としても絶対に失敗できない、とんでもないプレッシャーでした」

 月1回、熱心に東京に通い続けていた瀬戸山氏は初めて手応えを感じた。そして6月には「やっぱりユニホームは着たいものですね」と変わり、これで確信を得えると勝負に出た。「次は中内を連れてきていいですか?」。王氏の返事は「大丈夫です」だった。

 7月には球団フロント総出で東京に出向き、王氏と最後の意思確認を行い「ダイエー・王貞治監督」が正式に決まった。シーズンでBクラスに終わったが根本監督の顔は晴れ晴れとしていた。

「瀬戸山、来年からはワンちゃんが指揮を執る。世話になったな」

 打倒巨人、日本一を掲げ1995年から始まった王政権だが、当初は苦難の連続だった。そして1996年には球史に残る「生卵事件」が起こってしまう。

(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

RECOMMEND