野村監督は「僕の人生を変えてくれた」 “愛弟子”飯田哲也氏が野村ノートを開く時

野村監督の話をする時、僕は『思い出』と言いたくない

 そこには野村監督の緻密な野球は細かい目配り、配慮、準備にあったように思える。飯田氏は足も速く、動ける選手。野球脳も長けていたため、ギャンブルスタートやダブルスチールなど「年に1回あるか、ないかのプレー」の練習をよくしていたと言う。とにかく『どうやって点を取るか』『走者が三塁の場合に確実に1点を取る方法」などをミーティングや練習で指示を出され、自分のノートにペンを走らせたことを覚えている。

 野球の新たな景色を見せてくれた恩人と、今年、別れの時を迎えた。

「野村監督の話をする時、僕は『思い出』と言いたくないんです。野村さんは僕を変えてくれた人。コンバートで才能を見出してくれた。野球も勉強できましたし、野球に関することを教えていただいた。今でも役に立っています」

 ずっと生き続けているから、思い出という言葉に集約したくはない。

 飯田氏は現役引退後、指導者になってから、野村監督が言っていたことが身にしみてわかることもある。野村ノートを開く時は、コーチになってからも多い。

「守備の時、例えば、外野に打球が行ったとします。内野がカバーリングをしていない時、ショートはファーストはどこにいればいいのか。自分は頭ではわかっているけれど、どうやって説明すればいいのかと考える時があるんです。そういうことをわかってないで、プロに入ってくる子も多いので、(野村監督が)どのように説明してたかな、と思った時にノートを見ますね」

 指導者となってからのミーティングではホワイトボードを使って、「ここにボールが飛んだら、ランナーはこう動く。だから守備は……」と野村ノートを参考に説明をしていることもあった。ノートには他にも投手心理や打者心理も書いており、参考にしている。

 現役時はヤクルトの後、楽天で野村監督の下でプレーしたため、ノートは2006年まで付け足されている。約15年たった今の野球にも、必要で大切なことがたくさんある。野村監督が残したものを、後世に伝えていくことも飯田氏の使命なのかもしれない。

(Full-Count編集部)

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