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懐かしのヤクルト米ユマキャンプ 国内ではありえない地獄の練習メニューとは?

NPB12球団は2月1日、一斉にキャンプイン。今年はコロナ禍の影響でいずれも無観客で行われ、ましてや海外キャンプなど望むべくもない。現役時代にヤクルト、日本ハム、阪神、横浜(現DeNA)で計21年間捕手として活躍した野球評論家、野口寿浩氏にとって印象的なキャンプの思い出はヤクルト時代の米アリゾナ州ユマにおけるものに尽きると言う。国内キャンプではありえない“破格”のスケールの実態を語る。

野口寿浩氏がヤクルト時代の米アリゾナ州ユマでのキャンプを語った
野口寿浩氏がヤクルト時代の米アリゾナ州ユマでのキャンプを語った

サンマを焼いた煙で消防車とパトカーが出動したことも

 NPB12球団は2月1日、一斉にキャンプイン。今年はコロナ禍の影響でいずれも無観客で行われ、ましてや海外キャンプなど望むべくもない。現役時代にヤクルト、日本ハム、阪神、横浜(現DeNA)で計21年間捕手として活躍した野球評論家、野口寿浩氏にとって印象的なキャンプの思い出はヤクルト時代の米アリゾナ州ユマにおけるものに尽きると言う。国内キャンプではありえない“破格”のスケールの実態を語る。

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「キャンプという言葉を聞いて、まず脳裏に浮かぶのはユマの風景です。周囲は砂漠以外ほとんど何もなく、だだっ広いグラウンドだけがありました」と懐かしむ。ヤクルトは1978年から99年までの22年間に、ユマキャンプを20度開催し、その他に94年に2軍キャンプを張っている。「僕はプロ2年目の91年に初めてユマの1軍キャンプのメンバーに選ばれたのですが、なんとキャンプイン直前に湾岸戦争が始まり急きょ中止。93年から参加することができました」。以降、日本ハムへトレードで移籍するまでに6度参加している。

 ユマキャンプには恐怖のランニングメニューがあった。メーン球場を中心にA、B、Cの3つのサブグラウンドが放射状に取り囲む広大な施設。A球場の右翼ポールからスタートし、左翼ポールを通過。そのまま約50メートルのスペースを経て右翼ポールからB球場に入り、左翼ポールまで駆け抜けてC球場へ向かう。「どこまで走ればいいのかというくらい長い」コースを往復する、3つの球場を股に掛けた5キロ走だ。

「当時は30代後半だった金森栄治さん(現楽天打撃コーチ)が物凄く速くて、ついていけない若手がコーチにどやされました。15歳下の僕も1度も勝てませんでした」と脱帽。ユマキャンプの第1クールでは午前の2時間がみっちりウォーミングアップとランニングに当てられ、最後に毎日この5キロ走が全員参加で行われた。そこで鍛えられたタフネスが、ヤクルトが1990年代に黄金期を築く要因になったのかもしれない。

 海外ならではのハプニングもあった。ユマキャンプ後半、球団幹部の1人が「選手たちはそろそろ日本の味を恋しがっているだろう」と気を利かせ、近所のスーパーで脂が乗ったサンマを大量購入。宿舎ホテルのプールサイドで、バーベキュースタイルで盛大に焼いた。「想定外の煙が発生し、消防車とパトカー数台がサイレンを鳴らして駆けつける騒ぎになってしまいました」と野口氏。「ユマは静かな田舎町で、消防車やパトカーが出動することはめったにないそうです。『人騒がせなことをするな』と叱られました」と明かす。もっとも、焼いたサンマはその日の夕食に供され、「あれは本当においしかった」。

 ユマはメキシコとの国境に近く、野口氏は「僕が参加する前の話ですが、ある先輩が散歩していたら、知らないうちに国境を越えてメキシコに入っていたそうです」と話す。当時、米国側からメキシコへ入るのはほぼノーチェックだったというが、逆にメキシコ側から米国へ戻るとなるとそうはいかない。パスポートを所持していなかったことから騒動になったという。

 野口氏は「ユマはキャンプで行くには楽しい所でした。もう1度行ってみたいですね」と思いを馳せたが、「観光では絶対に行かない。砂漠しかないですから」と苦笑まじりに付け加えた。果たしてNPB球団が海外キャンプを張り、国内では味わえない経験をする時代はもう1度訪れるのだろうか。

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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