3度の戦力外は「マジか」「来たか」「来たか」 2度も蘇った“奇跡の男”の稀なプロ人生
西武はわずか1年で戦力外も…球団は「獲得したことは無駄じゃなかった」
西武からオファーをもらった時、編成担当からもらった言葉だけは今でも忘れられない。
「2軍に落ちた時でも手を抜かず、全力でやっている姿を見てきた。間違いなく、ウチの若手たちのお手本になってくれると思った」
森越氏自身が、貫いてきた信条でもあった。「見てる人は見てるんだなって」。ひたむきに、全力で。結果だけで見れば1軍出場なく1年でチームを去ることにはなった。2年連続で「来たか」と受け入れたが、最後に球団フロントにもらった言葉も有り難かった。「獲得したことは無駄じゃなかったと思っている。一生懸命やってくれてありがとう」。名古屋から始まった現役生活は、大阪をへて埼玉で終わりを迎えた。
心残りはない。「3球団やって結果が出なかったので、スッキリしました」。挑めば、4球団目の可能性もあったかもしれないが「仮に獲得してくれる球団があったとしても、こんな気持ちじゃ野球に対して申し訳ない」。2度倒れても蘇った“奇跡の男”は、最後に潔かった。
数多いるプロ野球選手の中でも、ほとんどが経験することのない3度の戦力外。誇ることはないが「恥ずかしいことでもないと思います」。懸命にプロの世界で戦い抜いた勲章でもあり、様々な環境で多くの出会い、刺激もあった。
チームや選手によって違った練習法や考え方は、第2の人生に生かす。アマチュアへの指導資格を回復し、3月から母校・名城大で野手総合コーチに就任。兄貴的な役割を担い、学生と近い目線に立って言葉を交わす。さらに治療機器の販売などを手がける会社「サンメディカル」(名古屋市)にも勤務。元選手としての実体験を還元する。
指導者でも、会社員でも、仕事と向き合う姿勢は揺るがない。「自分の人生なんで、自分が納得いくように」。全力プレーが、未来を切り開くことを知っている。
(小西亮 / Ryo Konishi)