米国でついに“全国区”の選手になった大谷翔平 番記者が明かす取材状況の激変ぶり

マドン監督の会見では、米記者から大谷に関する質問が飛び交う(画像はスクリーンショット)
マドン監督の会見では、米記者から大谷に関する質問が飛び交う(画像はスクリーンショット)

昨年までとは一変、大谷に関する監督への質問が殺到する状況に

 取材といえば今季、米メディアが大谷君に寄せる関心度が一気に高まった気がします。『いつ投げるのか?』『明日は打者として試合に出場するのか?』等々……昨年までは日本メディアが質問していたことを、地元紙の番記者らが事細かくマドン監督に聞くようになりました。

 2018年にエンゼルスに移籍した当時、大谷君の二刀流に対して米メディアは懐疑的でした。かつてのベーブ・ルースのようなことを近代野球で「できるわけがないだろう」という目で見ていたようです。

 同年は4勝&22本塁打の活躍でしたが米メディアの関心は決して高くなく、会見で監督に大谷君に関する質問をする記者は稀でした。ですから会見の最後に日本メディアが大谷君の出場スケジュールを聞くというのが通例で、それは昨年まで変わることがなかったのです。怪我が多かったのも一因だったでしょう。「二刀流はやはり無理じゃないか」という考えの記者の方が多かったと思います。

 ところが今年は一変しました。キャンプの時からガンガン打って投げて「これは凄いぞ」となってシーズンでも打ちまくって。しかも走る。先発としてチームで最も存在感を放つ選手が、本塁打も盗塁もチームトップですから。今年のマドン監督のオンライン会見はもう“大谷狂騒曲”です。主に4人の米記者が次から次へと彼について質問をする状況です。

 大谷翔平を“本物”だと認めた証拠でしょうか。米国内で“全国区”の選手になったと実感します。8日(同9日)のロイヤルズ戦で470フィート(約143.3メートル)の超特大本塁打放った瞬間、記者席は騒然となりました。全てのメディアが彼の一挙手一投足を追っている状況です。日本メディアとして本当に誇らしいですね。

〇盆子原浩二(ぼんこばら・こうじ)1953年3月12日生まれ、島根県江津市出身。現在は米・ロサンゼルス在住。1981年に渡米。地元ラジオを中心にドジャースの野茂英雄らをはじめ、取材活動を行う。今年7月で渡米40年を迎える。

(Full-Count編集部)

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY