「自然と涙が出た」と話題に 23年ぶり降雨コールドを宣告した審判員の配慮と矜持

2019年夏の甲子園で話題になった「フェアプレー弾」の舞台裏

 そんな長いキャリアでクローズアップされた経験は1つや2つではない。高校野球ファンに最も印象に残っているのは2019年夏の甲子園だろう。

 明石商(兵庫)-花咲徳栄(埼玉)の2回戦。明石商の投手の投げたスライダーがすっぽ抜け、右打席の花咲徳栄・菅原謙伸に当たったが、打者本人の「自分のよけ方が悪かった」という申し出で、判定はボールに。直後に本塁打が飛び出し、「フェアプレー弾」として大きな話題になった。

 この試合で球審を務めていたのも山口さん。当時の打者とのやりとりを聞いたことがある。

「あの球はよけ切れない。死球にしようと判断した」。頭部死球の場合、臨時代走を指示する必要があるため、確認の声をかけたが、しかし――。「どこに当たったの?」「自分のよけ方が悪くて、すみません」「どうして?」「よけ方が悪かったので、死球ではありません」。

 まさかの返答に一瞬、迷った。審判員として「打者からの自己申告を受け入れていいかどうか」という葛藤があった。本来は審判員の判断で、死球かボールか、決めなければいけないからだ。

「状況的に見て、自分から当たりに行っているわけではないので、本当は死球にしなければいけないと思うけど、間が空いてしまった。スタンドのお客さんもやりとりを見ているので、フェアプレーということもあり、自己申告を受け入れようと」

 試合後に「審判長に怒られてもいい」との覚悟で行った判断が、結果的にドラマを生んだ。明石商から確認や抗議もなく、高校生らしいフェアプレーと、その判定には好意的な声が寄せられた。

 選手は打者ならホームラン、投手なら完封をすれば、分かりやすい成功だ。しかし、審判員には失敗はあっても、成功と定義されるものがない。

 球場で会えば、記者にすら、快活で明るく大きな声で挨拶をくれる山口さん。「野球は必ず勝敗がついてしまうものですが、試合が終わった後にお互いが全力を尽くして、良い試合ができたと思ってくれるように」との信念でグラウンドに立ち、難しい職務に向かい続ける。

 そして、その精神こそが、多くのアマ野球選手から尊敬を集める理由でもある。

 23年ぶりの降雨コールド。そのゲームセットは、野球とプレーヤーに対する深い愛情とリスペクトを持った一人の審判員によってコールされた。

(神原英彰 / Hideaki Kanbara)

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