「22敗の借金は誇り」 1型糖尿病を抱えプロ16年、元阪神・岩田稔氏に独占インタビュー

病気を理由に社会人野球は断られる「悔しかった」「断れたチームを倒すのを目標に」

――入団時はリーグ屈指の投手陣だった。

「1軍はほぼ決まっていたかな。先発ローテも井川さん、下柳さん、安藤さん、福原さんがいて。2年目で上園が新人王、後ろはJFK(ウィリアムス、藤川、久保田)がいて。隙ないやんって(笑)。自分は生き残りに必死だったのでチームメートじゃなく全員敵と考えていました。人と同じ事をしても上手くならない。練習でもそういったことをしていました」

――筋力トレーニングなどを早くから取り入れていた。

「ルーキーの時も練習が終わってから車で大学時代から行っていたジムに行っていました。球団の施設を使うと同じメニューしかない。正直、飽きていた面もありましたが、皆と同じ事して上手くなることないだろうと。色々なことを取り入れていました。癖のある奴だと思われていたのは事実。早い段階でそこに気付けたかなと思っています」

――プロ通算は60勝82敗、防御率3.38。勝ち負けが逆でもおかしくなかったように思える。

「僕らは抑え続けるしかないですからね。勝ち負けの操作はできない。逆に打たれ強くなった。完投負けもたくさんありましたし。そういう意味では相手のエース級と投げ合ったとも言えるかな。22敗の借金を背負ってますが、僕にとっては誇りです。先発の仕事はちゃんとできたかなと、結果の表れだと思っています」

――大阪桐蔭を卒業してから本当は社会人野球に進むはずだった。

「大人になった今なら理解できるんですけどね。当時は病気を理由に断られて。悔しかったですけど、このチームより良いところに就職してやろうと思って大学に行かせてもらった。大学に入ってもプロというより社会人の良いところにいって、そこ(断られた)のチームを倒すのを目標にやっていた。大学4回の春にリーグ戦前に対戦することがあって。当時の監督も事情を知ってるから『先発で行くぞ』と。僕も『分かりました!』と気合が入りました。結果は7回ぐらいで降りたけどほぼ完璧に抑えて『ほれ見ろ!』って感じで。その時は鬱憤じゃないですが溜まっていたものを吐き出せました」

――来季から阪神の「Community Ambassador」(コミュニティアンバサダー)に就任。1型糖尿病関連の講演活動なども同時進行で行っていく。

「病気を抱える子どもたち、その親御さんとか現役時代にあまりできなかった意見交換もしていきたいなと思います。僕を支えてくれた妻、家族にも感謝です。そういった意味では、これから日本の四季を感じられるかなと。色々なところに行きたいですね」

(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

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