“長嶋政権”で活躍した元巨人助っ人 バリバリのメジャーリーガーはなぜ日本を選択?
大リーグトップクラスの外野手が、日本行きを選んだ1995年という時代
移籍が転機となり、ツインズでは在籍5年間で、3年連続を含む4度の打率3割をマークする巧打者に。1991年の世界一にも貢献した。野球殿堂入りしている通算2304安打のカービー・パケットと「同等かそれ以上の活躍」との高評価を受けた。
だが、1994年は肩の手術の影響で81試合出場に留まった。そしてシーズン中の8月に発生したストライキと、自身のFAの時期が被ったこともマイナスに作用した。記事は「FA選手たちの中には他(海外)の選択肢を検討する者もいた」と当時の空気を振り返る。フリオ・フランコ(元ロッテ)やケビン・ミッチェル(元ダイエー)らのスターも日本行きを選んだ。収束の気配を見せなかったストライキの影響の大きさを物語っている。
巨人からマック氏へのオファーは、ツインズのそれを140万ドル(約1億6000万円)上回る2年契約とあり、日本球界への移籍を選択。記事では「その契約はスーパースターではない選手にとっては大金であり、遠回りしてきた彼のキャリアを考えると、契約を選んだマックを批難するのは難しい」と当時の状況を振り返った。
マックは巨人での2年間の後、大リーグに復帰しレッドソックスなどでプレー。34歳でメジャーの舞台から退いた。記事はツインズ在籍期間のOPSはバリー・ボンズやケン・グリフィーJr.らに次いでメジャーリーグの外野手の中で5位だったことに触れ「彼は球界でもトップクラスのオールラウンドな外野手だった」と結論付けている。
(Full-Count編集部)