「町を出ないといけない」震災翌日の母からの電話 楢葉町で暮らす元オリ赤間謙さん、11年前の記憶
赤間謙さんはオリックスとDeNAでプレー、現在は故郷の福島・楢葉町で暮らす
東日本大震災が発生してから11日で11年になった。福島県の浜通りにある双葉郡楢葉町は東京電力福島第1原発事故でほぼ全域が避難指示区域となり、全町民が避難を余儀なくされた。避難指示が解除されたのは2015年秋。それから6年半が経った今、故郷に暮らす元プロ野球選手がいる。町のスポーツ協会に勤める赤間謙さん。創生する町で“第2の人生”を歩んでいる。
「11年も経ったのか、11年しか経っていないのか……何とも言えないですね。僕は住む場所もあって生活できていますが、まだ帰ることができない地域もありますしね。僕に帰って来る場所があったのは、多くの人がいろんな思いをしながら町作りをしてくれたからです」
赤間さんは社会人野球の鷺宮製作所から2015年ドラフト9位でオリックスに入団し、2018年途中にDeNAにトレード移籍。2020年シーズンを最後に現役引退し、生まれ育った楢葉町に戻ってきた。東日本大震災とそれに伴う原発事故で故郷は姿を変えた。第1原発から20キロ圏内にある楢葉町は約7400人の全町民が町外へ避難。立ち入りが原則禁止される警戒区域となった。避難指示が解除されたのは2015年9月5日。それから約6年半が経過した今、町の至る所が整備され、再生の息吹を感じさせる。新たな町並みができつつある中で、赤間さんは戻ってきた。
1990年11月14日、男ばかり3人兄弟の末っ子として生まれた。小学1年で「楢葉イーグルファイターズ」に入団。楢葉中ではサッカー部に所属しながら「相双中央リトルシニア」1期生の投手兼遊撃手としてプレーした。高校はいくつかの選択肢の中から東海大山形高に決め、15歳で楢葉町を出た。プロのスカウトから注目される存在になったが、3年夏は山形大会準決勝で敗退。甲子園の土は1度も踏めなかった。
4年後のプロ入りを目指し、東海大に進学。東日本大震災が発生したのは3年に上がる直前の沖縄キャンプ中だった。室内練習場で練習していると、マネジャーから東北地方出身者は家族に連絡するように言われた。携帯電話を取りにロッカールームへ向かっていると、球場内のテレビには“東日本大震災”の様子が映し出されていた。電話はつながらず、テレビから流れてくる「浜通り」のフレーズに、「まさに、そっちだし」と気が気ではなかった。