史上唯一の「初登板ノーノー」 大偉業の裏に中日・星野仙一監督が信じた“占い”
5球団競合の末に獲得した近藤真一、担当スカウトが明かす“逸話”
長いプロ野球の歴史で、ただ1度しかない「初登板でノーヒットノーラン」。35年前、大偉業をやってのけたのは、若干18歳の左腕だった。前年のドラフト会議で、愛知・享栄高のエースだった近藤真市(当時は真一)氏を5球団競合の末に獲得したのは、地元の中日。赤い糸を結びつけた当時の星野仙一監督は、わらにもすがる思いでくじ引きに臨んでいた。
「何が何でも、地元の左腕を獲らないといけない。そんな雰囲気でしたね」
当時中日のスカウトだった元投手の水谷啓昭さんは、“最重要課題”に直面していた。3年時に春夏の甲子園に出場した近藤氏は、10年に1人とも言われる逸材。しかも地元出身の選手とあって、喉から手が出るほど欲しい存在だった。
「顔つきや性格も含め、打者に向かっていく気持ち。あの迫力は、高校生とは到底思えない魅力でしたね。何より左だし、人間性の面でも申し分ない選手でした」
当然、何度も練習に通って視察。そのうち、存在は認識してもらえるようにはなった。ただ、いくら思いが強くても、ドラフト会議は時の運。事前情報では、4~5球団の競合指名が予想された。ラブコールを送り続け、人事は尽くした。あとできることと言えば、“神頼み”くらいだと思った。