史上唯一の「初登板ノーノー」 大偉業の裏に中日・星野仙一監督が信じた“占い”

くじを引いた後の戻り方やラッキーアイテムまで“指南”を受ける

 少しでも運を呼び込もうと、関東の有名な占い師を訪ねた。どちらの手でくじを引くか、引いた後にどちらに背を向けて元の場所に戻るか……。事細かに助言をもらった。さらに、紐に通した五円玉を扇子につけると“ラッキーアイテム”になるとの指示もあった。

 1986年11月20日。従前の予想通り、1位指名では人気が集中した。中日のほかヤクルト、日本ハム、阪神、広島が指名。抽選箱の前に立ったのは、1か月前に就任したばかりの星野監督だった。

 39歳の若き指揮官の姿を、固唾を呑んで見守った水谷さんらスカウト陣。わずか数秒の行動に、思わず腰を抜かした。

「いやね、星野監督が何一つ間違いなくやってくれたんですよ。一応『占いでこんなこと言われました』とは伝えてましたけどね、まさかその通りにやってくれるなんて……。あぁ、我々を信用してくれているんだなと思いましたね。それだけ星野監督も必死だったということかもしれません」

 思いは結実。中日陣営は歓喜に包まれた。劇的な獲得劇は、さらに衝撃的なマウンドを呼び込む。1987年8月9日、本拠地ナゴヤ球場での巨人戦。先発に抜擢された近藤氏は、あれよあれよとアウトを積み重ね、無安打無得点試合をやってのけた。

幸運をたぐり寄せた“絆”…星野監督と近藤氏の同じ境遇

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY