史上唯一の「初登板ノーノー」 大偉業の裏に中日・星野仙一監督が信じた“占い”

幸運をたぐり寄せた“絆”…星野監督と近藤氏の同じ境遇

 その日、夏の甲子園の視察で関西にいた水谷氏は、夜のニュースを見てまた腰を抜かした。「真一が大変なことをやったなと」。プロ野球史上初の大偉業。昭和から平成、令和と時代が移ろっても、いまだ“2人目”は現れていない。

 鮮やかすぎるデビューを飾った近藤氏は、1年目に11試合に登板して4勝5敗。翌1988年の2年目は24試合で8勝7敗の成績を残したが、以降は左肩などの故障に苦しみ、勝利から遠ざかった。26歳だった1994年に現役を引退。その後は中日で投手コーチやスカウトなどを務め、今年から岐阜聖徳学園大の硬式野球部監督を務める。

「結果的に『あの占いはすげーなー』とはなりましたよね」。水谷さんは、当時を懐かしむように微笑む。ただ、幸運が舞い込んだのは占いのおかげだけではないと信じている。星野監督も、近藤氏も、幼い頃から女手ひとつで育ててもらった同じ境遇に思いを馳せる。

「自分と同じ片親で育った真市に、星野監督は特別な思いを持たれていたんだと思います」。運だけではたぐり寄せられなかった20%の確率。球史に語り継がれる左腕獲得の裏には、闘将が結んだ絆があった。

○著者プロフィール
小西亮(こにし・りょう)
1984年、福岡県生まれ。法大から中日新聞社に入社。石川県や三重県で司法、行政取材に携わり、中日スポーツでは主に中日ドラゴンズやアマチュア野球を担当。その後、「LINE NEWS」で編集者を務め、独自記事も制作。2020年からFull-Countに所属。

(小西亮 / Ryo Konishi)

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