異色の両投げ、春夏連覇、プロ断念 10年前の大阪桐蔭主将が歩んだ野球人生

大阪桐蔭元主将の水本弦さん【写真:橋本健吾】
大阪桐蔭元主将の水本弦さん【写真:橋本健吾】

異色の両投げ選手、本来は左投げだったが「花形の遊撃手。ずっとやりたかった」

 水本さんを語る上で欠かせないのが高校、大学、社会人とプロフィール欄に記載された「両投げ」だ。野球を始めた当初は左投げだったが「花形の遊撃手。ずっとやりたかった」と小学時代に右投げに挑戦。朝から晩まで壁投げで鍛え上げると遠投80メートルまで成長。その後は内野手なら右投げ、投手としてマウンドに上がる際は左投げと異色の両投げ選手が誕生した。

 中学時代に完全試合を達成した一戦を見に来ていた西谷監督の目に止まり大阪桐蔭に入学。1年秋からメンバー入りすると内野手として試合に出場。最上級生になると左投げに戻し外野手として不動のレギュラーを獲得した。

 高校卒業をきっかけに左投げに専念したが、周囲は“両投げ選手”として注目し続けた。「当初は嫌だって、何度も言ったのですが(笑)。物珍しい感じを出したかったんだと思います。でも、プロでもない自分の名前を覚えてもらえたので感謝してます」。

 東邦ガスでは5年間選手としてプレー。右足前十字靭帯断裂の大怪我を克服し、昨年は都市対抗にも出場した。「復活して終わりたい。それをモチベーションとして頑張れた」と、後悔なくユニホームに別れを告げた。野球でやり残したことはないという。

「一社会人として結果を残したい。野球がなくても必要とされる人間でありたい」

 今年2月で27歳を迎えた。まだまだ、この先の人生は長い。野球界で学んだ経験を生かし、次なるステージでも活躍する。

(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

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