父はV候補も涙、息子は2年で甲子園 日大三島・永田監督に繋がる親子2代の不思議な縁

日大三島・永田裕治監督【写真:荒川祐史】
日大三島・永田裕治監督【写真:荒川祐史】

日大三島・野口央雅外野手の父・辰徳さんは高校時代に永田監督から指導を受ける

 38年ぶりに選抜大会に出場する日大三島には永田裕治監督から指導を受けた親子がいる。主に5番打者としてチームを支える野口央雅外野手(3年)の父・辰徳さんは高校時代は報徳学園でプレー。3年間で甲子園出場は叶わなかったが「打ってチームの勝利に貢献し永田先生に1勝をプレゼントしてほしい」と期待を込めている。

「凄い縁だと思います。まさか、永田先生が静岡に来るとは思ってもみなかったので、正直ビックリしました」

 報徳学園時代の辰徳さんは3年時に控え投手としてメンバー入り。まだ、30代だった頃の永田監督からは愛のある厳しい指導を受けたが「勝利への執念。全員野球を叩き込まれました。大人になって分かりますが、本当に貴重な経験をさせてもらった」と感謝する。

 奇しくも高校野球に終わりを告げたのが甲子園球場。当時の兵庫県は予選で“聖地”を使用することもあった。当時のメンバーは山崎勝己(現オリックス2軍バッテリーコーチ)、落合成紀(現JFE東日本監督)らタレント揃い。優勝候補の一角として挙げられていたが2000年夏の県大会では3回戦で明石南に敗れた。観客もいない、試合終了を告げるサイレンだけが鳴り響くグラウンドで辰徳さんは泣き崩れた。

 永田監督が就任した日大三島はわずか2年で甲子園出場を決め、父が憧れ続けた舞台に息子が立つ。「親としてめちゃくちゃ嬉しいですが、本音は『羨ましい、何でお前が!』ですね(笑)。自分たちの代は優勝候補と言われていましたが、勝つことの難しさを身をもって感じることが出来た。悔いのない試合をしてほしい」。

 央雅は昨秋、「4番・エース」松永陽登投手(3年)に続く5番を担った。本職は外野だが投手もこなす。チームでは貴重な左腕としてマウンドに上がる可能性も十分にありそうだ。大会前には「ピッチャーとしての心構えは伝えた」とアドバイスを送ったが「基本は打者として(永田監督も)見ている。得点圏での打席が増えると思う、大事な場面で1本打ってくれたら」と、アルプス席から声援を送るつもりだ。

(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

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