新庄剛志が教えてくれた「楽しむ」の裏側 専属広報が明かす“真の姿”とは?

日本ハム・新庄剛志監督【写真:荒川祐史】
日本ハム・新庄剛志監督【写真:荒川祐史】

衝撃の引退宣言翌日、新庄が円陣で口にした大望とは…

 2006年の4月18日、現在日本ハムを率いる“ビッグボス”こと新庄剛志監督は、試合中の本塁打コメントで突然現役引退を宣言し、世間の度肝を抜いた。先にこのコメントを預かり、発信するという役回りを担ったのが当時、新庄の専属広報を務めていた元日本ハム捕手・荒井修光さんだ。当時も現在と変わらぬ破天荒ぶりで注目を集めた新庄の知られざる姿を、振り返ってもらった。

 衝撃の引退発表翌日、新庄は東京ドームで行われたオリックス戦の円陣で、ナインに大騒動を詫びた。「ああいう形で引退を伝えて申し訳ない」。そして「このチームで日本一になりたい」と続けた。ヒルマン監督が率いて3年目の日本ハム。前年は5位で、プレーオフ進出も逃していた。この年も開幕から勝ったり負けたりで、この時点で10勝9敗の貯金1だった。

 それが44年ぶりのリーグ優勝、日本一まで駆け抜けてしまうのだから、シーズン開始早々の引退宣言にはチームを1つにする力があった。新庄自身もこの年、打率.258、16本塁打。引退する選手とは思えない成績を残した。左翼・森本稀哲、右翼・稲葉篤紀と組んだ外野守備も鉄壁だった。いとも簡単に、スマートにやってみせるのが新庄だった。

 ただ、メディアには決して見せなかった努力家の一面も、荒井さんにはハッキリと記憶にある。ナイターの日の札幌ドームで、朝9時から打ち込むのもしょっちゅうだった。ブルペンで3時間、みっちり打ち込み、他の選手が球場入りする頃には一旦、去っていくのだ。「僕が見ていないところでもやっていたはずですよ」。

 さらに頭のトレーニングもしていた。当時の日本ハムでは、スコアラーが選手ごとに安打の画像をまとめ、DVDにして配布していた。これを移動の車中で荒井さんと2人、見るのも日課だった。「『ここでいい打ち方をするから』とか、よく言っていました。自分のバッティングを組み立てる作業を、頭の中でやっていたんです。とにかく頭の中には、常に野球があるんです」。監督として野球を考え続ける今と、根っこは変わらない。

「楽しい」の裏にあるものを、全て持っているのが新庄監督

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