新庄剛志が教えてくれた「楽しむ」の裏側 専属広報が明かす“真の姿”とは?
「楽しい」の裏にあるものを、全て持っているのが新庄監督
2005年から交流戦が始まると、荒井さんにはこんな要望もあったという。「ノブ、奥さんに頼んで、セ・リーグの試合をできるだけ録っておいて」。テレビ中継のセンターカメラからの映像は、自身が守る中堅からの視界に重なる。「うちの投手と球速、変化球の動きを比較したときに、どういう打球を打ってくるかわかるんだよ」。自身の経験と判断で、どんどん守備位置を変えていく新庄に、不可欠な情報が詰まっていたのだ。
「今もワイワイやっているように見えますけど、新庄さんの言う『楽しむ』は、苦しんで、苦しんで、できるようになるから楽しい。それで勝つから、盛り上がってくれるから楽しいんですよ。楽しいの裏にあるものを、すべて持っているのが新庄さんなんです」
新庄は引退後、インドネシア・バリ島へ移住し、モトクロスレースや絵画などの趣味に打ち込んだ。野球界から距離を置き、いつしか荒井さんと連絡をとることもほとんどなくなった。ただ2018年の年末、札幌市内の量販店で突然、イベントに登場したことがあった。会場に出向き「お疲れ様です」と声をかけた荒井さんを、新庄は楽屋に引っ張りこんで、話し込んだ。「新球場ってどんな感じ? できた時に俺が監督なら楽しくない?」。今になって考えると、まさに“予言”だった。
口だけではない。2020年の年末には12球団合同トライアウトに参加。48歳での現役復帰を目指した。オファーがないとわかるとすっぱりその思いは断ち、今度は監督になるための準備を続けていた。昨年のシーズン中、突然鎌ケ谷スタジアムに現れ、窓口でチケットを買いスタンドに座った。恒例行事となっている5回終了後の「ラジオ体操」にまで、楽しそうに参加してくれたという。
「新庄さんは、何をやるにしても主語が自分じゃないんです。『チームが』『選手が』『ファンの皆さんが』となる。周りへ与える影響力が本当に大きい。監督として何をやってくれるのか、楽しみしかないです」
低迷が続く日本ハムを変えるには、うってつけの存在だった。荒井さんは現在勤務する2軍の本拠地・鎌ケ谷から、チームが“新庄色”に変化していく様を見守っている。
(羽鳥慶太 / Keita Hatori)