槍持った盗賊が試合襲撃、家畜放牧のジャングルでプレー…壮絶体験した元投手の今
ドミニカ共和国や米国、ベネズエラ、カナダでプレー後、横浜で治療院を開業
「日本では試合前日に早く寝るなど、やたらとコンディショニングに気を遣っていたし、よく緊張もしました。でも(ドミニカ共和国で)チームメートを見ていたらリラックスしていてプレーも軽い。今までの自分が馬鹿らしくなりました」
その後、アメリカ、ベネズエラ、カナダでプレー。28歳で帰国した後は解剖学や運動学などを学び、横浜市に「からだコーチング メジャーケア」を開業した。現在は社会人3チームでテクニカルアドバイザーも務める。
長年選手と接してきたが、グラウンドで声を荒げたことは一度もない。選手との会話には常に笑いが溢れている。昨年、指で絵を描く指画家として知られ、藍綬褒章も受章した母の珠鳳さんが死去。海外でのプレーを後押ししてくれた母の死が、アスリートでいられる時間が限られている選手たちと重なった。
「選手は結果が悪いと下を向いてしまいます。引退への不安もよぎる。野球には勝ち負けがつきものだからこそ、見守る立場としては、選手が気持ちよくプレーできる雰囲気で試合に送り出したいと思っています」
異国で野球の本当の楽しさを知った浜田さん。選手たちにも、野球を楽しみ、より良いパフォーマンスに繋げてほしいと願っている。
(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)