「お前をプロに入れてよかったかな?」名球会入り打者が感謝する野村克也の言葉

プロ3年目の1977年は怪我で不振も起用「何度も叱られて、当時は何で使うんだ?と」

 初回の第1打席。東尾修が投じた初球はストライクゾーンに入ってくるストレート。待ってましたとばかりに三塁線へ絶妙なセーフティバントを試みて成功させると、すぐさま二盗も決めた。その後の打席でも適時打を放つなど、プロ初安打、初打点、初盗塁をマークして“満点”のデビューを飾った。

 この年、50試合に出場して打率.303、1本塁打、16打点、7盗塁の好成績を残して一気にレギュラー定着。2年目の1976年も規定打席に到達し、打率.271の成績を残したが、翌1977年は右肩の怪我もあり打率.227と不振に終わった。この年限りで南海を去ることになる野村氏は、どれだけ打てなくても新井氏を起用し続けた。

「ボールも投げられず、打つ方もダメだった。何度も叱られて、当時は『何で使うんだ?』と思ったこともあった。ただ、我慢して使って頂いたことには感謝しかない。(野村氏は)監督を解任されてしまったが、その後に結果的に2000安打を打てるようになった。それが一番の恩返しだった。亡くなる直前に『お前をプロに入れてよかったかな?』と言われましたが『ありがとうございました』と。その言葉しかありません」

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