高卒2年目のイチローに「半信半疑だった」 恩師が衝撃を受けた半年後の“大変身”

1994年の沖縄・宮古島キャンプで鈴木一朗の打撃に衝撃「これ誰?」

 仰木氏は指導者経験のなかった新井氏を1軍打撃コーチに抜擢した。いきなりのポストに戸惑いもあったものの、新井氏は準備を進めた。そんな最中、シーズンオフに仰木監督が嬉しそうに話をする姿を、今でも鮮明に覚えているという。「ハワイのウインターリーグを視察してきた監督が『鈴木一朗という、若くてイキのいい奴がいる』と。その時はピンとこなかったのですが……」。のちの大打者となるイチロー(現マリナーズ球団会長付き特別補佐兼インストラクター)だった。

 新井氏は同年に解説者として、鈴木一朗と出会っていた。グリーンスタジアム神戸(現ほっともっと神戸)を訪れた際にオリックスの大熊忠義打撃コーチから「新井に似た選手がいる。ちょっと見てくれよ」と言われ、バッティング練習を見守った。当時の印象を「まだ打撃フォームも振り子じゃなく、オーソドックスだった。打撃練習を見ても良い打球を飛ばしていたが、全てバットの芯で捉えることはなかった。仰木監督が楽しみにしている選手だったけど、半信半疑でしたね」と振り返る。

 だが、翌1994年の沖縄・宮古島で行われた春季キャンプで、新井氏が描いていた印象は180度変わった。「これ誰?って(笑)。全く打ち方が変わっていた。振り子のようなフォームで打球の質も違う。半年でこれだけ変化する選手がいるんだと衝撃を受けました」。キャンプ初日。快音を響かせる背番号「51」の姿に目を奪われた。ただ、この時、目の前の高卒3年目の青年が大記録を次々に打ち立てることになるとは知るはずもなかった。

(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

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