望んだ通告「クビにしてくれ」 不幸の象徴とは言えぬ戦力外…経験者が語る“解放”
イップスに苦しんだ日々「日々の生活もつらくて、確実に逃げていた」
「苦しんでいる選手にとっては、気持ちが楽になるというのも結構あると思います」
2011年のドラフトでDeNAから1位指名を受けた北方悠誠投手は、自らの経験を踏まえて言う。今季から福岡北九州フェニックスで投手コーチも務める剛腕は、ルートインBCリーグ・栃木ゴールデンブレーブスに在籍していたころ、苦しかったNPB時代をふと振り返ったことがあった。
周囲の大きな期待とは裏腹に、遠かった1軍登板。3年目には、イップスの症状にも悩まされた。「もう投げ方が分からなくて、投げることとの戦いがきつかった。日々の生活もつらくて、そのときは確実に逃げてましたね」。毎日練習しても、いつ兆しが見えるのかもわからない。「正直、クビにしてくれと思っていました」。限界からの“解放”が、戦力外だった。
「チームから離れて、いい意味で自分の思うようにできますよね。自分の納得する状態でやれる。なんとなく開放された感じになって、ちょっと楽しくなるんじゃないですかね。苦しんでいる選手でそう思う人は多いと思いますよ」
当初は現役から身を引くつもりでいたが、ソフトバンクから声が掛かって育成契約。わずか1年での退団となり、再びユニホームを脱ぐ思いを抱いたが「ばあちゃんが泣いていたんで、もうちょっと頑張ろうかなと」。それからは独立リーグを渡り歩きながら、米マイナーリーグにも挑戦。わずか3年で終わりかけていたプロ人生は、11年目を迎えている。
戦力外となった選手は、考え抜いて自らの未来を選びとる。現役にこだわり、独立リーグや社会人、さらに海外のグラウンドに立ち続ける選択肢もある。引退して指導者や裏方スタッフとしてNPBに残るケースもある一方で、起業したり社会人になったりと別の道を歩む人たちもいる。
経験者たちは、口を揃えて言う。「戦力外は、何かのきっかけだと思う。これからの人生に生かしていきたい」。不幸でなく“節目”。現実に絶望せず、しぶとく立ち上がって第2の人生を歩んでいく。そんな姿が、野球ファンだけでなく、多くの人の心を打つ。
○著者プロフィール
小西亮(こにし・りょう)
1984年、福岡県生まれ。法大から中日新聞社に入社。石川県や三重県で司法、行政取材に携わり、中日スポーツでは主に中日ドラゴンズやアマチュア野球を担当。その後、「LINE NEWS」で編集者を務め、独自記事も制作。2020年からFull-Countに所属。
(小西亮 / Ryo Konishi)