幻に終わったペタジーニのオリックス入り 仰木監督に届いた“交換オファー”

ロッテでも指揮を執ったメッツのボビー・バレンタインからオファーが届く

 1997年オフのことだ。メッツで指揮を執っていた元ロッテのボビー・バレンタイン監督からオリックスに1通のオファーが届く。バレンタイン監督はこの年、リリーフとして2年連続50試合登板を果たしていた左腕・野村貴仁の獲得を熱望。その“交換条件”として提示されたのが、後にヤクルト、巨人などで活躍するロベルト・ペタジーニだった。

 当時、ペタジーニはメジャーでの実績は乏しかったが、3Aで129試合に出場して打率.318、31本塁打100打点をマーク。日本での監督経験もあったバレンタイン監督からの“お墨付き”を得ていた大砲に仰木監督も興味を示した。そして、球団に届いたプレー動画を小林晋哉コーチと新井氏に見せ「お前らの意見を聞かせてくれ」と、アドバイスを求めた。

「私が近鉄で現役だった時から仰木監督は助っ人の映像を見せてくれては『こいつはどうだ? 活躍できるか?』と聞かれていた。ペタジーニを見た時もマイナーで3割30本100打点の成績を残し、バットが内からしなるように出るスイングをしていた。これなら日本でも同じ成績が残せると思ったので小林コーチと共に『監督、これは獲りましょう』と伝えました」

活躍するペタジーニの姿に「お前がもっと強く獲得しろと言わなかったからだ」

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY