「伸びるタイミングはそれぞれ」 五十嵐亮太氏が驚いた元“世界王者”の覚醒秘話
五十嵐「冗談で『プロになりたい』とは言ってました」
五十嵐:野球の場合、伸びるタイミングは人それぞれ、小中学生ですごかった人が高校で全然ダメだったり、逆に高校でそこそこだった人が大学や社会人で伸びてプロに入ることもある。
内山:五十嵐さんは高校時代からプロを目指していたんですか?
五十嵐:僕はお調子者タイプだったから、冗談で「プロになりたい」とは言っていました(笑)。でも、シニアリーグでは上手い方ではなかったし、高校も強豪校ではなかった。その中で高校2年の春、たまたま対戦したチームの選手を見に来たスカウトが、僕のピッチングを目に留めて、よく見に来てくれるようになったんです。そこからプロを意識するようになって、メチャクチャ練習したら上手くなりました。
内山:すごい!
五十嵐:僕は高校だったけど、内山さんは伸びるタイミングが大学2年だったんですよね。きっかけは?
内山:ちょっと辛かったんです、試合に出られなかったのが。同級生がみんな強くて、1年でレギュラーになったのに、僕だけなれなかったんですよ。だから、本当に遊ばずにメチャクチャ練習しました。そしたら、少しずつ体ができてきて、ある日、先輩とスパーリングをしたら「あれ、俺の方が強いじゃん」って(笑)。
五十嵐:どのくらいしたんですか?
内山:朝練やって、大学の授業に出て、夕方から練習して、終わったらさらに10キロ走ったり。月曜から土曜までそれをやって、部活が休みの日曜はプロのジムで練習したり、高校の練習に参加したり、週7で練習したら変わってきました。そしたら、100%負けるってみんなに言われていたのに、レギュラーの先輩に試合で勝ったんですよ。それで楽しくなって、また練習をする。やっとそこでボクシングが本気で楽しいなって思いました。
五十嵐:そっか、そこまでボクシングと本気で向き合ってはいなかったんだ。悔しさを力に変えたタイプですね。
内山:そうですね。野球もサッカーも後輩に抜かれて、悔しくて情けなかったけど、やる気をなくして辞めちゃった。でも、ボクシングはなんとなく好きだったので、勝ち負けはどうでもいいと続けていたら覚醒しました。(第2回に続く)
(佐藤直子 / Naoko Sato)