中日根尾は「1軍で活躍してこそ評価される」 野手3人を投手転向に導いた名伯楽の思い

嘉勢は通算136試合、萩原は3球団を渡り歩き通算270試合、今村も通算47試合に登板

 嘉勢は1994年のドラフト1位、今村は1995年のドラフト1位、萩原も1991年のドラフト2位で入団し球団の期待値は大きかった。野手として育てる方針だったが1軍では結果を残せず、2000年に3人が同時に投手に転向することになった(嘉勢は野手として1997年に2試合に登板)。

「数年間、チャンスはあったが野手では厳しいと判断し『投手でどうですか?』と球団に意見をさせてもらった。その後に許可を得て本格的に始めた。佐藤義則2軍投手コーチの指導も大きかったと思います」

 2軍では打撃練習の際にコーチや野手が投げることが多かった。当時は使い古されたボロボロの球を使用していたが「3人に共通していたのは指先の感覚が素晴らしかった。投げづらいボールでもストライクを取り、変化球も簡単に投げる。その姿を見たのが一番の判断材料だった」と、振り返る。

 嘉勢は2001年にリーグ最多の70試合に登板するなど通算136試合に登板し3勝7敗。萩原はオリックス、日本ハム、ヤクルトと3球団を渡り歩き通算270試合に登板し13勝15敗、今村も通算47試合に登板するなど投手に転向したことで1軍の舞台を多く経験。3選手は現役を終えてからも阪神の打撃投手、オリックスのスコアラー、独立リーグのコーチとして現在も野球界に携わっている。

「1軍で出場機会がなければプロ野球選手としての記録は残らない」

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