命を賭けた仰木彬氏の“最後の1年” 王監督からの慰留断り退団「腹をくくった」

王監督に誘われダイエー入りも退団「こんな失礼なことはないと思った」

 シーズン終盤、王監督に事情を説明してオリックス行きを願い出た。ただ、王監督からは「それはダメだ」と慰留された。ダイエーがソフトバンクに球団を売却し「福岡ソフトバンクホークス」が誕生することが決まっていたからだ。ホークスとしても、打撃コーチとしての手腕を買っていた新井氏を手放すことはできなかった。

 しばらく話は進まなったが、時間がすぎると共に両球団が動き、最終的にはダイエーを退団してオリックスの打撃コーチに就任することが決まった。

「王監督から誘ってもらいながら、自らチームを去る。仕事を頂いた人に対して、こんな失礼なことはないと思った。その時は家内(裕紀夫人)の乳がんが判明し、私も2年間、単身赴任でした。はっきりしたことは分かりませんが、色々な事情もあり、家族の元に、仰木監督の元に戻してもらったのかもしれません」

 1995、1996年のリーグ連覇、日本一を達成した名コンビは新球団で再びタッグを組むことになった。2005年シーズン。仰木監督が「グラウンドで倒れたら本望」と語ったように、まさに激動の1年が始まるのであった。

(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY