仰木監督も「どっちがええんや?」 オリ入りを拒む選手も…難航した分配ドラフト

分配ドラフトを前に握手する楽天・田尾安志監督(左)とオリックス・仰木彬監督【写真:共同通信社】
分配ドラフトを前に握手する楽天・田尾安志監督(左)とオリックス・仰木彬監督【写真:共同通信社】

2004年オフにオリックスと近鉄が合併し分配ドラフトが行われる

 2005年、球団合併問題でオリックスと近鉄が合併し「オリックス・バファローズ」が誕生した。初代監督には仰木彬氏が就任し、ダイエーを退団した新井宏昌氏も打撃コーチとして指揮官を支えた。新井氏の証言をもとに振り返っていく連載の第13回は「難航した分配ドラフト」。

 2004年シーズンを終えたオフ。ダイエー2年目の戦いを終えた新井氏は、肺がんを抱えながらも合併球団の指揮官に就任した仰木監督に仕えるため、自ら退団を申し出た。1995、1996年のリーグ連覇を経験している“名コンビ”が再びタッグを組み、新球団の舵を取ることになった。

 球界問題は紆余曲折ありながら、翌2005年からパ・リーグには合併したオリックス・バファローズと、新球団の楽天が加わることが決定。新たなシーズンに向けて急ピッチで準備が進められる中で、11月8日に行われたのが、選手分配ドラフトだった。

「評論家などで野球界を見ていましたが、仰木監督は4年ぶりの現場復帰だったので、コーチ陣の意見を尊重していました。特に近鉄の選手たちの思いも様々あった。いきなりオリックスの選手になることに納得できない人達も多かったですし、その思いが分からなくもなかった」

分配ドラフトは先にオリックスがプロテクト選手25人を提示

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