「1人1人の胸に『俺の川崎球場』がある」 照明塔の撤去開始で“歴史の番人”が激白

スタジアム支配人の田中育郎氏【写真:宮脇広久】
スタジアム支配人の田中育郎氏【写真:宮脇広久】

「さよなら照明塔企画」に野球ファン100人が集結、口々に思い出語る

 70年近くにわたって威容を誇ってきた旧・川崎球場の照明塔が、間もなく姿を消す。終戦後間もない1952年に開場し、54年に照明塔を設置。大洋(現DeNA)やロッテの本拠地として、数々の名勝負を歴史に刻んだが、2000年にスタンドが解体・撤去され、跡地は「富士通スタジアム川崎」として生まれ変わっている。現在は他競技で使用されているが、照明塔の他に川崎球場時代の外野フェンスの一部も現存。関係者や川崎市民の思い出が染み込んでいる。

 25日、富士通スタジアム川崎のフィールドで「さよなら照明塔企画」と題したイベントが催され、野球ファン約100人が集まった。佐々木信也氏と村上雅則氏によるトークショー、元ロッテオリオンズ応援団の横山健一氏の案内で球場時代の名残を巡るツアーなどが行われたが、その仕掛け人が、スタジアム支配人の田中育郎氏だ。「全国からたくさんの野球ファンがここを訪れ、照明塔とフェンスを見て満足して帰っていかれます。川崎市内に、ここ以上に歴史的価値のある遺構はないと考えています」と熱い口調で語る。

 同スタジアムは2015年から、J1川崎が指定管理者を務めている。当初から支配人を務める田中氏も同クラブ所属。川崎生まれの川崎育ちで、川崎球場と聞けば幼少の頃、父親に連れられ観戦した巨人戦で王貞治氏(現ソフトバンク球団会長兼特別チームアドバイザー)のホームランを目撃した記憶が鮮明によみがえるという。

 支配人に就任後、敷地内に入場無料の特設ギャラリーを設置。川崎球場で王氏が通算700号本塁打、張本勲氏が通算3000安打を達成した際の記念プレートや球場時代の座席、当時の様子を伝える写真、ポスター類などを保存・展示している。アポなしで訪れる野球ファンに対しても、業務の合間を縫って、できる限り案内役を買って出ている田中支配人。川崎球場をめぐる“歴史の番人”ともいえる存在だ。

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