腰痛に他球団は難色も…阪神は「獲る」 井川慶が大学進学を“翻意”した意外なワケ

阪神、ヤンキース、オリックスでプレーした井川慶氏【写真:槌谷綾二】
阪神、ヤンキース、オリックスでプレーした井川慶氏【写真:槌谷綾二】

3年春の県大会では7回参考記録ながら18奪三振の完全試合

 2000年代の阪神でエースとしてフル回転し、日米通算95勝をマークした井川慶投手。茨城・水戸商高時代は怪我に泣かされながらも、1999年のドラフトでは潜在能力の高さを買われ2位指名を受けた。今回、Full-Countでは井川氏のプロ入りの原点となった高校時代を振り返る。後編は「覚醒の瞬間、仲間のために投げた決勝戦」。

 1996年秋。最終学年となった井川氏はエースナンバーを背負いながらも、自らの不注意で左足の内転筋を断裂。怪我を隠しながら秋季大会に登板したが、大敗を喫して甲子園出場を逃してしまう。身長186センチ、球速140キロを超える直球が武器の大型左腕は、どこか殻を破れない状況が続いていた。

「もう迷惑はかけられないと。トレーニングを見つめ直して、何とかしようと思った」

 野球に対する意識を変えた井川氏は、一冬越えた3年春の県大会から覚醒する。竜ヶ崎一高戦では10者連続を含む18奪三振、7回参考記録ながら完全試合を達成するなど大車輪の活躍でチームを準優勝に導く。茨城2位で出場した関東大会でも、初戦の国学院栃木戦で9回1失点の完投。準決勝で桐蔭学園に敗れたものの、“エース・井川”はプロスカウトから大きな注目を集めることになった。

「春の大会前に新聞の評価は『水戸商は投手力に不安がある』と書かれていた。冬の練習も力を入れてやって自信もあったので『そんなことない、見返してやる』と強い思いを持ってマウンドに上がっていました。ただ、この時から腰が痛くて、だましだましの投球だったかもしれません」

茨城大会決勝で初先発も9回4失点で敗れる

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