広島の最重要課題だった堂林翔太の一本立ち 名打撃コーチが“指導できなかった”理由

和製大砲の育成へ…野村監督は付きっきりで堂林を指導

 堂林は高卒3年目だった2012年の開幕戦で「7番・三塁」で1軍デビューを果たすと、同年は144試合に出場し打率.242、14本塁打45打点をマーク。上々の成績を残したが、球団新記録となる150三振を喫するなど課題も明確だった。鮮烈なデビューを飾ったことで、2013年はさらなる飛躍が期待されていた。

 新井氏は打撃コーチ就任当時から「堂林の三振数を何とかしたい」と口にしていた。三振=バットにボールが当たらない。中京大中京高時代はエース兼4番打者として甲子園のスターだった堂林の弱点も「高校を卒業するまで投手が主だった選手は、センスだけで打撃するイメージ。プロはスコアラーたちがいて“打つべき球”をある程度、教えてくれる。当時の堂林は、打つべき球を打たず後追いだった」と見抜いていた。

 カープでも多くの野手を指導してきたがシーズン中、本格的な打撃指導を行わなかったのは堂林だけだ。最重要課題だった三塁・和製大砲の育成は野村監督が付きっきりで行った。新井氏はその点に関して全く不満はなく、指揮官の熱い思いを感じ取っていた。

「野村監督の熱の入れようはすさまじかった。試合の無い日でも球場に姿を見せ、ピックアップ練習の堂林にマンツーマン指導を行っていた。堂林がものになれば広島の三塁は10年は安泰。そのような思いを持っておられた」

2014年は2年連続でAクラス入りも野村監督が退任

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