イチロー氏「想像できなかった」「終わり方凄く大事」 40分間の会見で語った全て

日本人野手が「各チームに最低1人ずつって当時思ってましたけど」

――日本人野手がイチローさん以降ずっと来ている。
「そんなに来ました? 2001年からそんなに大きく変わったかなって考えると、少なすぎるでしょって思います。いずれ各チームに野手は最低1人ずつ、最低ですよ。そんな状況が20年経てば考えられなくもないって当時思ってましたけど、全然そんなことない。当時とそんなに感覚は変わらないので、少なすぎますね」

――今後、3000本を打って球団の殿堂に入る選手が出てくるにはどうしていくことが必要か。
「難しいところだね、時代もありますからね。例えば2022年に新しく日本から来た選手が、2001年に僕が来たときに同じことを感じるかといえばないと思う。完全にそれは時代ですけど。だから本当に場所が変わっただけという感覚でできてしまう可能性が高いと僕は見ていますけど、でもだからこそ、今正直な表現がなかなかできないこともあって、選手が何考えているか、特にチームメートが何考えているかなんて表面上分からない。凄くいい関係に見ても実は違うっていうケースがあると思う。当時は悪い関係は悪く見えたし、いいものはいいと見えたし、そこがややこしいなって今の時代は思うんです。余計なことを言いそうなのでこの辺でやめておきます(笑)」

――アメリカに最初に行きたいと思ったのは。
「動機が不純なんですよ。単なる憧れとかそんなんでは全然なくて、もちろんプロに入って何年かはそんなこと想像もしなくて、1996年の日本一になった年、僕はスランプだったんです、その1年。スランプだったけどなぜか首位打者になるし、MVPになるし、変な感じだったんですよね。スランプでこの結果はおかしいよなと考えるようになった。その年に初めて日米野球を経験するんですけど、あー凄いのいるなって、初めて自分の皮膚感覚で感じて。アメリカ行ったら今の僕が日本と同じような結果は絶対に出せないなって思ったんですよね。それが実は最初の動機でした。おかしいでしょ? 憧れとかじゃない」

――その後絶対に行きたいと思うようになったのか。
「絶対に行きたいという思いはその頃はなかったですよ。アメリカに行けばこんな状態の自分はもう叩きのめされるというイメージだったので、そこに飛び込みたいという気持ちでしたね。ただルール上できなかったので、それが結局2000年のオフになるんですけど、だから4年後ですね。その頃は1軍のレギュラーとして7年目を迎えていましたけど、何となくやることなくなってきたなという感じがあったんですよね。だから憧れてとかそんなんじゃないです、直前でもそんなんじゃなかったです」

――野球以外でもアメリカにきたいという思いは。
「全然なかったです。ゼロです。アメリカに向いているって言われたことないですよ。割と日本にいる日本人より日本人っぽいねという感じの表現をされることの方が多いと思います」

――すぐに慣れたか。
「慣れてないですよ、いまだに慣れてないです。だから日本にいるとうまくいかなくて、でもアメリカ来るとうまくいっちゃう人っているじゃないですか。これ余計なことの1つだな、やめておくか(笑)」

――逆にこっちでついていけない人もいる。
「アスリートは数が少なすぎて分からないんですけど、レストランで働いている人とか見たときに、この接客だと日本では絶対にやっていけないけどアメリカだとこれでいけちゃうんだなという人は結構いるんです。それは見たくないです、実は。凄くイヤーな気持ちになるんです。向いてるのかな、僕? って思いますけど。どうかな。僕が地面だとしたら、生えてくる木はアオダモとかですよ。アッシュは生えてこないです、僕からは。アメリカに会っていたらアッシュが生えてくるんです。そんな気がするんですよね。と、僕自身がそう思っています」

(Full-Count編集部)

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