イチロー氏が渡米当初に味わった“洗礼” ファンから硬貨を投げられたことも
米国では「アジア人、アジア系米国人は男らしさが足りないと見られる」
マリナーズの会長付き特別補佐兼インストラクターを務めるイチロー氏が26日(日本時間27日)、T-モバイル・パークで球団殿堂入りの記者会見を開いた。マリナーズで1861試合に出場し2542安打を放ったスーパースターも入団当初はさまざまな“苦労”が。米メディア「NBCニュース」が、2001年に入団した頃に経験した“洗礼”や、長きにわたって活躍できた秘訣を通訳の証言などを交えて伝えている。
移籍1年目の2001年に首位打者、盗塁王を獲得してシーズンMVP&新人王。2004年にMLBシーズン最多の262安打をマークし、10年連続ゴールドグラブ賞(2001~2010年)を受賞するなど様々な“勲章”を手にしたイチロー氏だが、入団当初は冷ややかな目が注がれていた。NPBで7年連続首位打者(1994~2000年)を獲得するなど確固たる地位を確立していたものの、日本人野手では初のメジャー挑戦。体も大柄ではなかった。こうしたことから当時27歳のイチロー氏には重圧がのしかかっていたと記事は伝え、米国のファンにどのように受け取られるかを常に意識していたという本人の話を記事は紹介している。
ネバダ大学ラスベガス校でアジア人・アジア系米国人を研究しているコンスタンシオ・アーナルドJr.准教授は「アジア人とアジア系米国人は常に男らしさが足りないと見られる。そしてここに、白人の男らしさを体現するものの一部として見られるゲーム(野球)がある」と語る。同氏によれば、大柄なエンゼルス・大谷翔平投手でさえ“アメリカ野球の顔”になれるかという議論に直面するのはこうした理由もあるという。
長く通訳を務めたアレン・ターナー氏は、イチロー氏が2001年のスプリングトレーニングに参加した当初、懐疑的な見方が明らかで、当時は“カオス”だったと説明する。当時イチロー氏は新しい国で新しい環境、新しい言葉に慣れようしている段階であり、一方で米国のファンにとっては典型的なMLB選手の体型ではない外野手との出会いだった。同時に多くの記者が一挙手一投足に注目している状況だった。