甲子園有力も…最後の夏は「嫌な思い出」 EXILE黒木の“高校時代”に五十嵐驚き「波瀾万丈!」
黒木が過ごした波瀾万丈な高校野球人生とは…
五十嵐:高校野球で波瀾万丈ってなかなかないですよ(笑)。毎日練習で単調でしょ。
黒木:ですよね(笑)。秋の1年生大会で僕ら、日南学園に勝って、決勝では本庄に22-1で圧勝して優勝。高2春の九州大会も準優勝で「絶対に甲子園行くぞ!」となっていたら、不祥事で監督が辞任して、隣県の強豪校から新しい監督が来たんです。それまで自由な野球をしていたのに、監督色が濃いガチガチの野球に変わって、大半が辞めてしまいました。
五十嵐:え、強かったチームはどうなったんですか?
黒木:僕らが高3の夏は県大会1回戦でコールド負けでした。
五十嵐:え、そんなことあるんだ。それは波瀾万丈!
黒木:3年の夏は本当に嫌な思い出でした。最終的には1回戦でコールド負けで終わってしまいました。「なんだ、これ? この3年間はなんだったんだ?」って思いましたよ。1年生大会を22-1(※)で勝った伝説のチームで3年の夏を試したかったのに。 ※22得点は史上最多、21点差は史上最大
五十嵐:黒木さんはよく続けましたね。
黒木:いろんなことがありましたが、卒業までその高校にはいました。
五十嵐:野球を嫌いになりました?
黒木:なった……かな。離れはしましたよね。卒業後は横浜で就職したけど、ネクタイを締めている自分に違和感を感じて4か月で退職。それで、中学生の頃からダンス甲子園やZOOを見て興味を持っていたダンスを始めました。
五十嵐:今でこそダンス教室があったり授業でダンスをしたり身近なものだけど、当時ダンスを選ぶ人は珍しかったですよね。誰かに憧れたのか、とか。
黒木:モテたいのは絶対ありますよね(笑)。ダンス甲子園の影響で、高校進学の時に野球とダンスで揺れたこともあったので、今度こそダンスだ、と。横浜や東京にいればよかったのに、宮崎に帰ってダンス教室に通い始めました。それが19歳の時ですね。
五十嵐:すごい方向転換だな。黒木さん、すごい(笑)。
黒木:いやいや。タイミングもありますよね。宮崎でダンスを始めた頃、シーガイアで開催されたクラブイベントにオリジナルのJ SOUL BROTHERSが来て、「うわ、カッケーな」って衝撃を受けたんです。今度は2001年にEXILEが「Your eyes only ~曖昧なぼくの輪郭~」でデビューして、また衝撃を受けて。宮崎で目立てばいいと思っていたのが、「俺はEXILEに入りたい!」となって22歳で東京に出てきました。