トレード直談判で球団激怒「何を言うんだ」 念願叶うも…2年で戦力外の“波乱人生”
4球団渡り歩いた元左腕の前田耕司氏、トレードや戦力外、入団テストを経験
プロ野球界からスポーツマネジメント業界に転身し、社長にまでなった元投手の前田耕司氏。オリックス時代に知り合ったイチロー氏をはじめ、その人脈や充実したネットワークが大きな武器になっている。セカンドキャリアを語る上で欠かせないのは、波瀾万丈だった現役生活だ。阪神、西武、広島、オリックス。東西、セ・パ両リーグ、4球団を渡り歩いたが、その裏側では様々な出来事があった。【山口真司】
前田氏のプロ生活のスタートは阪神だった。福井工大福井高からドラフト2位で入団し、プロ2年目の1984年9月19日の広島戦(甲子園)で初登板、初先発。勝敗はつかなかったものの、5回1失点と好投した。だが、次の先発でアクシデントがあった。「ブルペンで投げていたときにぎっくり腰になったんです。歩くこともできない状態。でも痛いなんて言ったら2軍に落とされる。サロメチール(鎮痛薬)を塗ってマウンドに上がったんですが、ノックアウトされ、その年はそれで終わってしまった」。
1986年オフには西武へトレード。「調子は悪くなかったし、まだまだできると思っていた。初めての東京で(関西と違ってつゆが)黒いうどんは食えないのでは、という方が心配だったくらい。チームにもひとつ上が工藤公康さん、ひとつ下が渡辺久信、同い年が笘篠誠治と同世代が多かったこともあって、すっと溶け込みましたね」。だが、思うような結果は出せなかった。「ファームではエースだったんだが、1軍ではなかなか……」。そして2度目の移籍となる。
「実は球団にトレードに出してほしいと直談判したんです。もちろん、何を言うんだって怒られましたよ。でも最終的には、故郷の広島への移籍を決めてくれたんです」。当時、広島の監督は山本浩二氏。前田氏にとっては小・中学校の先輩で、憧れの人でもあっただけに気持ちも高ぶった。「ここで骨を埋めようって思ってカープに行きました。ありがたいことに広島では地元の人間が帰ってきたって感じで誰からもよくしてもらった。選手とのつながりもどこよりも深かったですね。その中のひとりが(現在、マネジメントをしている)緒方(孝市)なんです」