トレード直談判で球団激怒「何を言うんだ」 念願叶うも…2年で戦力外の“波乱人生”
オリックスの入団テストで3K奪取…仰木監督は大爆笑も合格
1993年、広島移籍1年目のシーズンは41試合に登板し、2勝をマークした。今度こその思いだったが、翌1994年の登板は14試合どまり。オフには戦力外通告を受けた。「そりゃあ悔しかったですよ。でも、どうすることもできない。仕方ないと思うしかなかった……」。そんな中でも、人との縁はまだ続いた。これからどうしようか。そう思案していたころ、旧知のマスコミ関係者から「前田くんはまだ野球を続けるつもりがあるのか(オリックスの)仰木監督が聞いてくれっていうんだけど、電話番号を教えてもいい?」との連絡が入ったのだ。
即座に「お願いします」と答えると、すぐに仰木監督から電話があり「紅白戦で入団テストをするから、投げられるように準備しなさい」と言われた。1週間後のテスト。ここでも人とのつながりが新たな道をたぐり寄せた。「藤井(康雄)さん、柴原(実)さん、村上(眞一)さん。3人の左バッターに投げたんですが、全員ウエスタンの時から知っている先輩。3人とも三振してくれたんですよ。仰木さんも『お前ら出来レースじゃないか』って大爆笑でしたが、合格となったんです」。
しかし、状態は上向かなかった。全盛時は145、6キロの速球を投げていたのが、140キロも出なくなった。結局、オリックスでは1軍登板なしのまま、夏には自ら球団に現役引退を申し入れた。その後、オリックスの打撃投手となり、伊原監督の監督付広報も務めた。40歳でスポーツマネジメントの世界へ飛び込び、株式会社プロアスリート(神戸市)を立ち上げるまでになるわけだが、異業種挑戦は最初からうまくいったわけではない。「クライアント? ブライアントなら知っていますが……」。そんなレベルからのスタートだった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)