「プロは契約してもらって初めてプロ」日本ハム・木田優夫2軍監督が説く“生存術”
自身も変わった…2度目の渡米前「同じことをやっていたら通用しない」
若き日の木田監督は、剛速球で鳴らす巨人のエース候補だった。1990年には12勝を挙げ、リーグトップの182奪三振を記録している。トレードでのオリックス移籍を経て、1999年にはFA移籍でデトロイト・タイガースへ。ただメジャーでは2年間で51試合登板に終わり、オリックスへ復帰した。そこも2001年オフに自由契約となり、翌年は腰の治療に専念するためどのチームにも所属しなかった。このタイミングで考え方を変えたのだという。
「もう一度アメリカに行くとなって『同じことをやっていたら通用しない』と思ったんだよね。1回失敗しているし、まして1年間リハビリで何もしていなかったわけだから。最初にカーブを練習しようと思った。それまでは真っ直ぐとフォークしかなかったから」
2003年、ドジャースと契約し海を渡った。主戦場は3Aのラスベガスだったが、メジャーでも3試合に投げている。8月15日、シカゴで行われたカブス戦で先発し5回2失点。「その試合を解説していた小宮山(悟=現早大監督)さんに『あのカーブじゃ無理だ』って言われてね。じゃあ、どうやったらいいんだとまた練習して……」。