「伝統を汚してはいけない」 横浜高元主将・玉城陽希が重圧と闘った“最後の夏”

横浜・玉城陽希主将【写真:荒川祐史】
横浜・玉城陽希主将【写真:荒川祐史】

高校野球を引退した今、玉城陽希は練習を続けながら後輩を応援する日々

 この夏、神奈川代表として2年連続で甲子園の土を踏んだ横浜高校。プレーと言葉でチームを引っ張り続けたのが、甲子園で選手宣誓も務めた玉城陽希だった。村田浩明監督が「玉城がいなければ、チームは成り立たなかった」と絶大な信頼を寄せたキャプテンは、いかにして仲間を甲子園に導いたのか――。

 9月中旬、学食のテラスに現れた玉城の髪型は、丸刈りからさわやかな短髪に変わっていた。平日は野球部の練習に参加し、秋の大会ではスタンドで後輩を応援する姿があった。

「高校3年間で一番思い出すのは、3年夏の決勝です。東海大相模にサヨナラ勝ち。最後、萩(宗久)がライト前に打って、二塁から岸本(一心)がホームに還ってくる場面は、これ以上ないぐらいのスローモーションで頭の中に残っています」

 サヨナラヒットを放った萩は2年生。打席に入る前、村田監督から「思い切り振らせてこい」と指示を受け、萩に声をかけに行った。

「萩はあまり当たっていなかったんですけど、練習でバットを振っていたのを間近で見ていました。先輩とプレーする重圧は、僕自身も昨年経験していたのでわかります。だから、『結果を気にせずに思い切り振ってこい。今までやってきたことを信じろ!』と送り出しました」

 ベンチに戻った玉城は、萩のバッティングに期待するとともに、別の意味で次の1球に注目していた。

 直前のプレーで、大坂啓斗がライトライナーを放った際、二塁走者の岸本が飛び出して、三塁まで進んでいた。急いで二塁に帰塁するも、三塁を踏まずに戻っていたのを、玉城は見逃さなかった。ベースの空過だ。東海大相模側がアピールすればアウトになるが、萩に1球投げた時点でアピール権は消滅する。

「ベンチで祈っていました。『早く1球投げてくれ』って。あの時間は、これまでの人生の中でも特に長く感じました」

 東海大相模からアピールはなく、試合再開。萩は2球目のスライダーをライトに運び、ホームベース上に歓喜の輪ができた。

キャプテンが仲間にかけ続けた言葉「男として負けていいのか?」

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