乗り込む寸前「巨人の宿舎どこだ!」 大乱闘で怒り頂点の闘将・星野仙一、相手選んで“ビンタ一発”
手を出していい相手を発見「そういうところは冷静な人だったんです」
もうひとつの“ナゴヤ球場の乱”も有名だろう。巨人・槙原寛己投手から顔付近に投じられた中日・バンスロー内野手が激高。星野監督もベンチを飛び出し、両軍一触即発ムードに。そして闘将が友寄球審に抗議していたときのことだ。三塁側ベンチ前から巨人の松原誠コーチが「何言っているんだ!」とヤジ。これに星野監督がぶち切れた。「なんや、なんやこの野郎、来い!」とほえながら、向かっていった。
三塁ベンチ前で両軍入り乱れての大バトル。松原コーチを探す闘将は巨人・水野雄仁投手をどけとばかりにビンタし、帽子を吹き飛ばした。テレビ中継にもばっちりとらえられた伝説のシーンだが、これについて早川氏はこう話す。「あれは相手を選んでのこと。あのころ水野のお兄さんと懇意にしていて、手を出していいやつを瞬時に見つけたんですよ」。とてもそう見えないほどのど迫力だったが「そういうところは、ものすごく冷静な人だったんです」と話した。
ちなみにその時に大暴れして退場処分となったのはベニー・ディスティファーノ外野手。その切れっぷりは半端ではなかったが、これにも裏話があるという。「その年のオープン戦のころ、通訳を通じて『ここでは乱闘になったらベンチにいたらいかん、みんな兄弟みたいなものなんだから』って話をしたわけ。そしたら今度はそんなことで怒るなよってレベルでもギャンギャンやり出した。あのときも彼にしてみれば言われた通りやって、なんで俺だけって思っていたんじゃないかな」。
今の時代では、もはや考えられない“アウトな逸話”ばかりだが、当時の星野中日ではそれが当たり前だったし、その空気で団結していたのも事実だ。竜ナインが奮い立ったといえば、高額監督賞もそう。この星野政策もまた大いに話題になったものだが、そのころの金庫番でもあった早川氏は、その内実も赤裸々に明かした。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)