常に200万円持ち歩いた星野仙一監督の側近 選手への“超高額ご褒美”にあった盲点

元中日監督の星野仙一氏(右)と監督付広報だった早川実氏【写真:早川実氏提供】
元中日監督の星野仙一氏(右)と監督付広報だった早川実氏【写真:早川実氏提供】

当時監督付広報だった早川実氏が語る“星野流お金の使い方”

 中日・星野仙一監督の第1期政権(1987年~1991年)で、代名詞のようでもあったのが高額監督賞だ。実際、桁が違った。それ以前は1000円単位中心だったのが、一気に100倍の10万円単位中心に大アップ。1試合の総額ではドドーンと100万円を超えることもあったほどだ。当時、監督付広報だった早川実氏は、同時に監督賞などの財源を管理する金庫番でもあり、常に200万円を持ち歩いていたという。そんな星野流お金の使い方を振り返ってもらった。

 1987年4月12日、敵地・後楽園球場での巨人戦に2―0で勝利し、星野監督は指揮官として初白星をつかんだ。ドジャースモデルの新ユニホームをこの開幕戦から着用するサプライズ演出で、打倒巨人に燃えたが、初戦を先発・杉本正で、2戦目は先発・鈴木孝政で黒星と最悪の連敗スタート。そんななか、あえて3戦目に起用したエース・小松辰雄が完封勝利で期待に応えた。

「俺は3連勝するつもりだったんだ。2つ勝って辰雄を3つめにすれば絶対いけるはずってね。あのときは、連敗しても、あいつなら何とかしてくれると思ったなんて話したかもしれないけど、最初から負けることなんて考えてなかった。3つ勝つためにそうしたんだよ。まぁ、俺が欲を出しすぎたってことだけどな」。後日、星野氏はそう話したが、あの記念すべき1勝の興奮は半端ではなかった。

 それが如実に出たのが監督賞だ。大ヒーローの小松には50万円。ソロホームランを放ったゲーリー・レーシッチと川又米利はもちろん、小松を好リードした捕手の中尾孝義にも10万円単位の賞金が出た。中日ナインは「こんなに出るのか」と驚くとともに、大きな刺激剤になったのは言うまでもない。このお金について早川氏はこう明かす。「あの当時、星野さんの後援会・仙友会からチームのためにって1000万円が渡されていた。それをお前が預かっとけって監督に言われたんですよ」。

高額監督賞には反省点も「当たり前になったら選手が50万円では喜ばなくなってきた」

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