徴収した罰金を“結婚式の祝儀”で返還 鉄拳制裁も辞さぬ星野仙一監督にあった信念
中日の第1次星野政権で選手を震え上がらせた高額罰金
中日での第1期政権(1987年~1991年)で、星野仙一監督は高額監督賞を大盤振る舞いした一方、高額罰金を徴収して選手を震え上がらせていた。なにしろ一気に100万円なんてことさえもあったのだから、この出費は痛すぎたことだろう。だが、これにも裏が……。闘将の懐刀として知られた早川実氏は、現代なら間違いなく即アウトの鉄拳制裁など超絶に厳しかった青年指揮官のある言葉を思い出すという。【山口真司】
高額監督賞と同じく桁違いだった高額罰金。アメとムチとはいうが、そんなレベルをはるかに超えてすべては進んでいた。選手には絶えず緊張感が漂っていた。「プレーで罰金を取ったのはバント失敗くらいかな。それは1万円。基本的に罰金は門限破りとか集合にこなかったとか、自分でできることをしなかったときに発生していたんです」。そう話す早川氏は当時、門限破りの見張り番もする立場だった。
だが、罰金にもからくりはあった。早川氏は「罰金は取った分、いろんな形で最終的には全部返しています。バント失敗の罰金はバント成功で倍返しだったし、試合での監督賞が10万円だったら、そこにそれまでに徴収した罰金を上乗せして渡したりしてね」。ある選手にはずっと返金機会がなく、早川氏が結婚式の祝儀で返したことがあったそうだ。「その選手のお父さんからは金額が大きかったから、早川さんってどんな人って言われたそうだけどね」。
とにかく星野監督は超厳しかった。鉄拳制裁も現実にあったし、ボコボコにされた選手も一人や二人ではない。「でも、みんな恨んでいないどころか感謝している。共通しているのはやられたやつほど活躍していること。中村武志も山本昌とかもそう。そして今、それをいろんなところで笑い話にしているでしょ。星野さんより怖いものはなかったですよって」と早川氏はいう。今の時代、この手の星野エピソードには世間から批判の声も少なくないが、やられた当事者たちからそんな声は確かに聞こえてこない。