“最後の近鉄戦士”が迷った引退 「勇気が必要だった」決断、坂口智隆が流した涙
“最後の近鉄戦士”と呼ばれ「バファローズの思いを背負う責任が自分にはある」
2003年に近鉄に入団しNPBでは“最後の近鉄戦士”という看板を背負いながらプレーを続けてきた。当時から応援してくれたファンの声は痛いほど胸に響いたという。
「本当は引退を決断するのは勇気がいりました。ボロボロになるまで続けた方がいいかなと、思った時もあった。バファローズの思いを背負う責任が自分にはある。でも、気持ちと体がどうしても…。申し訳ない気持ちはあったが、引き際は区切りとして自分で決めようと思った」
神宮で行われた10月3日の引退試合では「2番・右翼」でスタメン出場。初回の第1打席で左前打を放ち、第2打席は体がねじれるほどのフルスイングで遊飛。背番号「42」が見せた、普段と変わらない全力プレーにファンからは万雷の拍手が注がれた。
「引退を発表してから数試合ファームで出場したのですが、本当に体が動かなくなった。やっぱり気持ちって大事なんだと実感した。打ちたい、打たないといけないプレッシャーから解放されて“魂”のない体じゃアカンなと(笑)。でも、引退試合でのヒットは本当に奇跡。どうやって打ったか覚えてないんですよ。あれは野球の神様から『お疲れさん』っていうご褒美だったと思ってます。ファンからの声援が嬉しくて、感謝で涙が出た。これで終わりなんだと」