杉谷拳士の“野球道”は「間違っていなかった」 最後の打席でも守った14年間の“信念”

ファンの声援に応える日本ハム・杉谷拳士【写真:中戸川知世】
ファンの声援に応える日本ハム・杉谷拳士【写真:中戸川知世】

打席で聞こえた骨が折れる音…「何でも屋」の野球人生にも感謝

 期待を表すかのように、2016年から背番号は「61」から「2」へ一気に軽くなった。ただその年の4月10日、仙台での楽天戦で打席に立った際、右手の有鈎骨を折ったのだ。杉谷はプロ生活の思い出に、この打席を挙げる。「バキッ」という音が聞こえたのだという。約2か月のリハビリの後復帰し、この年は打率.240でチームの日本一にも貢献した。ただ翌年からは、2割を打つのがやっとの打者になった。

「骨折した時、前年には3割近く打って、絶対にレギュラー獲れるなと思っていたシーズンだったので……。開幕してすぐ骨を折った時には『うわっ』て、どうしようと思っていました。でもそこで、どのように帰ってくるのがベストかなとすぐ切り替えられましたからね」

 口ではレギュラーを狙うと言い続けた。ただ、立場の変化を感じていたのも、ほかならぬ杉谷本人だろう。チームの穴を埋めるために、なんでもやるという選手になっていった。捕手のベンチ入り人数を減らすため、キャッチングの練習に取り組んだこともあった。“何でも屋”として1軍にしがみついた年月も、あくまで前向きに振り返っている。

「それこそ、感謝したくて……。僕自身、ずっとレギュラーを取るためにどうしようかと考えていました。2年目にファームで(当時のイースタン記録記録となる)最多安打を打って、よし3年目という時に高い壁がありました。じゃあどうやったら1軍に残れるのか。そこから自分の長所というものも考え始めましたし、野球に取り組む上でたくさんの勉強をさせてもらったかなと思います。で、いま14年やり切って終わったと思えるのが、今の僕の感想です」

いつまでもグラウンドに残っている泥まみれの選手は、ファンに愛された

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