杉谷拳士の“野球道”は「間違っていなかった」 最後の打席でも守った14年間の“信念”

左打席で臨んだ現役最終打席は右飛だった【写真:中戸川知世】
左打席で臨んだ現役最終打席は右飛だった【写真:中戸川知世】

いつまでもグラウンドに残っている泥まみれの選手は、ファンに愛された

 現役生活14年は「短かったという人もいますけど、僕は長かったなと感じました」という。その中で気づいたことがある。引退会見でフロント業に興味がある理由として「例えばシフトとか、10年前と今の野球は大きく違うのを感じていましたし、ソフトバンクやオリックスの投手と当たって、どうしてこんな速い球を投げられるんだろう、10年前にこんなことはなかったぞというのを感じていて、そういうことにも興味を持っていたので、アメリカで勉強したいなというのもありますし」と話していた。ユニホームを脱ぐことを決めても、野球への興味は尽きないのだ。

 鎌ケ谷のグラウンドで泥にまみれた若き日、杉谷はスタンドのみんなに応援されていた。打席に立つと「スギヤ!」「スギヤ!」と、まるで歌舞伎役者への掛け声のような応援が飛んだ。試合が終わってもずっとグラウンドに残されている、このやたらと声がデカい選手は、いつしか皆の夢を背負っていた。2011年に西武戦でプロ初安打を打った際には、試合中の鎌ケ谷で「ただいま西武ドームで、杉谷選手がプロ初安打を打ちました」と速報アナウンスが入ったほどだ。

 話は、5日の試合後会見に戻る。杉谷は「14年は長かったと思いますし、自分の歩んできた野球の道が間違っていなかったなと思う1日でした」と神妙な面持ちで口にした。さらに「野球は常に僕を前進させてくれるスポーツです」と話し「ここ絶対に使ってくださいね」と笑いをとった。お正月の風物詩「リアル野球BAN」への出演など、帝京高の先輩でもある石橋貴明さんにかわいがられている杉谷は今後、芸能界へ向かうのかと見る向きもあるだろう。ただずっと見せてきた「野球への本気度」を考えると、決して遠くには行かない気がする。

○著者プロフィール
羽鳥慶太(はとり・けいた)神奈川で生まれ、愛知、埼玉などで熱心にプロ野球を見て育つ。立大卒業後、書籍編集者を経て2001年、道新スポーツに入社。プロ野球日本ハムを長年担当したのをはじめ、WBCなどの国際大会、アマチュア野球、平昌冬季五輪なども取材する。2021年よりFull-Count編集部所属。

(羽鳥慶太 / Keita Hatori)

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