懐刀の進言に星野監督も仰天「アホか!」 近藤真一の史上唯一“初登板ノーノー”の裏側

監督勇退の“進言”に星野氏は「人ごとだと思って、勝手なことを言いやがって」

 ちなみに星野監督が阪神を優勝に導いた2003年、シーズン中の8月に早川氏は甲子園の監督室を訪ね、こんなことを進言していた。「高血圧で、それまでにベンチ裏で2回くらい倒れたって聞いていたから、優勝してやめましょうよ。体を壊して死んでしまったら元も子もないですよ。ここでやめたら、またどこかから監督の要請が来ますからって言ったんですよ。冗談口調でね」。

 これに星野監督は「人ごとだと思って、勝手なことを言いやがって」と返したという。果たして、このときのやりとりが関係したかはわからないが、闘将はそのシーズン限りでタイガースのユニホームを脱いだ。そして、その後、日本代表監督を経て、楽天監督になり、2013年シーズンにはついに念願の日本一にも輝いた。

 しかしながら、早川氏は「星野さんにはもう一度、中日の監督になってほしかった」という。かつて闘将は「俺にはドラゴンズブルーの血が流れている」と声を大にして話していたものだ。阪神や楽天のユニホームに袖を通しても、やはり心の奥底には……。令和の今、中日を指揮しているのは、星野さんの教え子の立浪和義だ。その懐かしいルーキー時代の1988年、早川氏は立浪に関して、ある星野指令を受けていたという。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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