2人合わせて通算3612安打… “最後の近鉄戦士”の心が折れた「バケモン」との遭遇
今季限りで引退した坂口智隆氏は近鉄、オリックス、ヤクルトで20年プレー
近鉄、オリックス、ヤクルトで20年間プレーした坂口智隆氏。通算1526安打を放ち、4年連続ゴールデングラブ賞、最多安打のタイトルを獲得するなど全力プレーでファンを沸かせた。バファローズ魂を胸に秘め、“最後の近鉄戦士”と呼ばれた男の野球人生を振り返っていく連載の第1回は「西武・栗山との出会い、初めての挫折」。
物心がついた時からグラブとバットを離さなかった。休日は草野球をやっていた父に連れられ、グラウンドに出向き、当時の実家だった神戸市内の団地では連日のように壁当て。野球のルールも把握していなかったが「遊びといったら野球。近所の友達とバッティングセンターに行くのが、楽しみで仕方なかった。その時から自分が一番上手いと思ってやっていました」と振り返る。
小学2年時に軟式野球の「鵯台ライオンズ」に入団。初めて守ったポジションは左翼だったが、当時の指導者から身体能力の高さに目を付けられ遊撃、投手も兼任することになった。学年が上がるたびに身長もグングン伸び、小学6年の時には160センチにまで成長し、地区でも飛びぬけた存在になっていたという。
全国大会などの出場はなかったが、右投げ左打ちで高身長から110キロ後半を投げ込み、打っても柵越えを連発する“スーパー小学生”の噂は神戸中に広がっていった。プロへの思いが強かった坂口氏は「プロ野球選手になるためには中学生になったら硬式ボールを触っておきたい」と、強豪チームでプレーすることを決める。
親の仕事の関係で中学は神戸を離れ、明石市立望海中学校に進学。学内の野球部には入ることなくヤングリーグの「神戸ドラゴンズ」に入団した。阪神にドラフト1位で入団した安達智次郎、オリックス、ヤクルトなどで活躍した戎信行らを輩出している兵庫の名門チームだった。