緊急入院で医者から「死ぬよ」、転機となった”接触事故” 大金手にした奇跡の都市対抗

1980~81年の都市対抗で「17~18打席に立ってアウトは2回くらい」

 ちなみに、南牟礼氏はその夜「今日はスポーツニュースでも映るんじゃないかと思ってテレビを見ていたら、画面に本当に自分がバッターボックスに入っている姿が出た」という。ところが……。「出た、出た、出たって喜んでいたら、いきなり臨時ニュースが入りました、巨人軍・王選手が現役引退ですって」。それで画面から自身の活躍シーンが見えなくなったそうだ。

 1981年の都市対抗は夏に行われた。「正直、体が持つかどうかイチかバチかだったけど、結果が出たんです。僕はこの2年間の都市対抗で合計17か18打席に立って、アウトになったのは2回くらいしかなかった。それが阪急のスカウトの目にとまったんです」。ある意味、奇跡だった。

 そしてドラフト3位で指名され、1位指名の山沖之彦投手(専大)よりも高い契約金で阪急に入団。まさにエリートコースのはずだったが、とんでもなかった。それから数年後、時の指揮官に「俺の目の黒いうちには野球できねえようにしてやるからな」と言われる事態にまでなってしまった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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