「なんか転校生みたいやな」巻き込まれた“合併騒動” 巡ってきたイチロー氏との3日間

今季限りで現役を引退した坂口智隆氏【写真:中戸川知世】
今季限りで現役を引退した坂口智隆氏【写真:中戸川知世】

キャンプに現れたイチローと「一緒の班で打ってみろ」

「当時は何度も、その言葉を言われて。球団が期待してくれていたのは感じ取っていましたが、おこがましいし、まだ1軍の実績もない選手。似ているところは外野の左打ちぐらい。格の違いを見せつけられたのは、オリックス1年目の春季キャンプでした」

 2005年の沖縄・宮古島春季キャンプ。第2クール初日となった2月6日から、合併球団の指揮官となった仰木彬監督を慕い、マリナーズのイチロー氏が姿を見せた。前年2004年に、シーズン262安打の大リーグ記録を樹立したばかり。“世界の安打製造機”の一挙手一投足に注目が集まった。

 プロ3年目を迎え、新天地で1軍キャンプメンバーに選ばれていた坂口氏も世界トップレベルの打撃技術に目を奪われた。幼い頃からグリーンスタジアム神戸に足を運び、声援を送っていたスターと同じ空間で練習できることが信じられなかった。

 午前の練習が終わり、ランチ特打の時間になると仰木監督に呼ばれた。「おい、イチローと一緒の班で打ってみろ」。オリックスの歴史をつなぐ「51」と「52」が並んでグランドに立った。軽々とスタンドインを連発するイチロー氏の隣で、必死にバットを振った。

「宮古島の球場は風がアゲンストで、右翼方向への打球が戻ってくる。それでもイチローさんは低いライナーでガンガン入る。僕は思いきって振っても1本ぐらいしか入らない。これは次元が違うと……」

 背番号「51」と過ごした3日間。走攻守で世界レベルの技術を目の当たりにした。この年限りで勇退する仰木監督の計らいが、背番号「52」の闘争心に火をつけた。同年は6試合の出場に終わったが、翌2006年は28試合と出場機会を増やし、2007年には一流への階段を駆け上がることになる。

(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

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