2度ダマすのは無理…敵ベンチから通報「持ってるぞ!」 隠し球失敗の“その後”

元南海・立石充男氏【写真:山口真司】
元南海・立石充男氏【写真:山口真司】

元南海内野手の立石充男氏、2度目の隠し球を試みるも…

 元南海内野手の立石充男氏は、現役時代に「伝説の隠し球」で大きな話題を集めた。1984年5月29日の西武球場での西武戦で、その「技」を駆使して三塁ランナーをタッチアウトに。最高難度のプレーを見事に成功させたが、実は、ドラマはその後にも起きていた。その年、2軍でも3回、隠し球でアウトにしていた“達人”は、1軍でもさらに企んだ。しかも大胆にも同じ西武を相手に……。さて、どうなったのか。立石氏は笑みを浮かべながら、その時の模様を口にした。

「伝説の隠し球」を決めた時、アウトにした三塁走者は西武・駒崎幸一外野手だったが、もう一人、間近でだました形になったのが、その時、西武の三塁ベースコーチを務めていた近藤昭仁氏だ。西武サイドにしてみれば、悔しい出来事だったに違いない。立石氏はその後の西武戦の時に「近藤さんから『お前、今日はやっていないだろうな』って言われました。やってませんよって答えましたけどね」と明かす。

 実は何とこれが2度目のトリックだった。「その時はボールを右手に持って、やってないですって言いながら(ボールが入っていない)グラブを見せたんです。隠し球をやっていたんですよ」。近藤氏の角度からは右手の“中身”が見えないようにした実に巧みな“ボールさばき”。ここまでは順調にうまくいっていたという。だが……。「その後に見破られてしまったんですよ。西武ベンチから『持ってるぞ!』って声がかかって……」。

 西武にしてみれば、またやられたら、たまったものではなかったのだろう。自然と立石氏へのマークも強くなっていたようだ。「近藤さんには『こらーっ』て言われました。それからはもう隠し球はやっていないですね。いつかまたやったろうっては思ってましたけど、機会がなかったです。すぐにタイムをかけられたり、やっぱり相手も注意しますからね」。

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