2度ダマすのは無理…敵ベンチから通報「持ってるぞ!」 隠し球失敗の“その後”

隠し球成功後に骨折…「階段はケンケン。大変でしたよ」

 ちなみに「伝説の隠し球」を成功した後、立石氏は骨折している。二塁打を放ち、送りバントで三塁に進んだ後、打者がセーフティスクイズを空振り。三塁走者の立石氏は慌てて三塁に戻るとき、西武球場の人工芝と地面の切れ目のところにスパイクが入って転倒した。この年からつけたパ・リーグ初の背番号「0」は「怪我なし(ゼロ)で」の思いが込められていたが、皮肉にも伝説の舞台で手痛い負傷だ。

「翌日、所沢からバットとスーツケースを持って電車で移動。骨折しているから階段はケンケン。大変でしたよ」。まさに地獄だった。「モノレールに乗ってやっと羽田空港に着いたときはもう汗だく。隠し球はうまくいったけど、きっちりオチがついてしまいましたね」と立石氏は苦笑しながら振り返った。

 しかしながら“匠の技”はきっちり伝承していた。立石氏は1992年の現役引退後、ダイエー、中日などでコーチを務めたが「僕が隠し球をやったということは知られていたんで聞いてくるんですよ。教えてください、どうやってやったんですかってね」。2000年から2004年までの近鉄2軍コーチ時代の教え子でもある山崎浩司内野手はその後に移籍した広島、オリックスで隠し球に成功、セ・パ両リーグで決めた男になっている。

「隠し球は今は難しいんじゃないですかね。すぐボールを交換するし、タイムもとるんでね」という立石氏は、隠し球以外にも逸話が数多くある。南海現役時代は野村克也氏と門田博光氏にかわいがられ、その技術を学び、成長していったが、その裏側には、そんな大物2人への大胆な試みがあった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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