自由契約なのにワクワク…ヒゲも茶髪もバッサリ、新天地での復活呼んだ“ばあちゃん”の言葉

2016年からヤクルトでプレーした坂口智隆【写真:荒川祐史】
2016年からヤクルトでプレーした坂口智隆【写真:荒川祐史】

坂口智隆氏はオリ退団後、複数球団からオファーも「一番先に声をかけてくれたところに」

 オリックスを退団した2015年のオフ、坂口智隆氏は期待と不安を抱きながら過ごしていた。そんな中、再びNPBでプレーする機会を与えてくれたのがヤクルトだった。“最後の近鉄戦士”と呼ばれた男の野球人生を振り返っていく連載の第10回は「背番号42を選んだ理由と“下町スワローズ”の発足」。

 2015年の10月1日。自ら自由契約を選択し近鉄、オリックスと“バファローズ”で過ごした13年間に終止符を打った。所属球団がないフリーの立場となり「本当に獲ってくれる球団はあるのか?」と、不安もありながら「裸一貫で勝負する」と、どこかワクワクする自分がいた。

 秋季キャンプなど、いつ呼ばれてもいいようにトレーニングを続けていると、真っ先に声をかけてくれたのが、同年セ・リーグを制したヤクルトだった。後に複数球団からオファーは届いたものの「一番先に声をかけてくれたところにお世話になる」と、迷うことなく入団を決めた。

「オシャレ番長」としてファッションモデルを経験し、茶髪とヒゲがトレードマークだったオリックス時代。「入りが大事。ヤクルトは基本、ヒゲと茶髪は認めていないと言われていた。もちろん自分もそのつもりだった」と、11月に行われたヤクルトの入団会見では黒髪。ヒゲも剃り落としイメージを一変させた。

背番号「42」を選んだ理由、祖母から「人が選ばないところ(番号)には福が眠っているよ」

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